
ハンセン病の島、クリオン
大小7,000の島々からなるフィリピンは、その美しさから「東洋の真珠」とうたわれてきました。しかし、長期にわたる外国の支配は、貧しさをはじめ、さまざまな問題を残し、今なおフィリピンの人々を苦しめています。
フィリピンのなかでも、首都マニラから南西約300Kmに位置するパラワン諸島のひとつ、クリオン島は特殊な歴史を抱えています。
クリオン島は今からおよそ100年以上前の1906年、当時フィリピンを統治していたアメリカ軍の政策により、フィリピン全土にいたハンセン病患者が強制的に移住させられました。
ハンセン病は、当時治療法がなく、人から人に感染する病と誤解され、患者への隔離政策が世界的に行われていました。
第2次世界大戦が終わり、日本軍の統治が終わっても、クリオン島はフィリピン保健省の管轄下におかれ、住民自治を認められませんでした。マルコス政権の独裁など政治的に不安定だったフィリピンにあって、戦後のクリオン島の歩みは苦しいものでした。
子どもたちに支援を開始
1990年秋、私たち「愛の樹」グループ愛の会の前身、神奈川エクレシア・イエス・キリストの家に、クリオン島に住むハンセン病患者の一婦人から助けを もとめる手紙が届きました。
それをきっかけに、「フィリピン・クリオン島を助ける愛の会(Agape Society to Assist Philippine Culion Island:ASAPCI)」がNGO(非政府組織)として設立されました。
フィリピン・クリオン島を助ける愛の会は、国内から寄せられたお金だけを送るのではなく、まず、現地に人を派遣して、現地の状況をよく見聞きし、その上で、特に子どもたちの教育支援を開始しました。
クリオンは産業も乏しく、助けをもとめる声はあらゆるところから聞かれましたが、明日のクリオン、フィリピンを担う、子どもたちへの支援がもっとも重要でした。



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